御由緒

國魂神社

御霊神社

北野神社

 農中の安全と五穀の豊饒とを祈念し農業神豊受大神を奉斎する。
 遠く他町村よりの信仰も厚く旧暦2月24日の鍬打ち祭・祈祷祭(現在は、3月第4日曜日)、には多数の講が訪れにぎわっている。

 大同元年(806)菊田の国造が出雲大社より勧請奉斎し代々国造自らが、祭祀を掌ると伝えられる。
 保元2年(1157)に至り時の領主国井政弘、鎮国のため常陸の国より春日の御神体を勧請、当社に合祀し領主および民人の氏神として尊崇された。窪田山城守平昌清の世に至りこの地を窪田と称し神社を窪田郷の郷社と崇めた。
 その後、水戸領主佐竹氏、江戸時代に至り、棚倉藩主の崇敬の念厚く、社領寄進を受け明治に至る。
 なお現在の神殿は本社が明治11年、拝殿が昭和17年氏子・崇敬者の力により再建されたものである。

田神社

 昭和17年國魂神社改修に伴いその拝殿を移し御霊社として竣成を見た。
 戦後勿来地区遺族会の発足と共に、日露戦争よりこのかた大東亜戦争までの出征戦没した英霊1015柱を祀る。
 平成9年、終戦50年を記念し勿来地区遺族会連合会・軍人恩給連盟・傷痍軍人勿来部会・窪田地区振興会並びに國魂神社により本殿改修工事を行った。

 大正13年7月25日、当時の勿来町国民学校(現いわき市立勿来第一小学校)が児童の精神の浄化、学業の成就校運の悠久を祈り学神・菅原道真公の御霊を祭る京都北野神社より勧請奉斎したものである。
 昭和21年6月5日、國魂神社境内に遷宮、後も学業の神として広く尊崇を受け現在に至る。